小さいころから絵を描くことが好きだった私は、家族で外食に行くとき、必ず画材と紙を持っていっていました。
ご飯を待っている間ずっと絵を描き続けて、できるとそれを家族に見せる。
「絵描くのが好きなんだね。上手いね。」と言われ続けて、ナチュラルに真に受けていました(笑)
なので、絵を描くことは嫌いになりませんでした。
小学生になって、好きな授業は音楽と美術。その他の科目は全般的に苦手で、漢字ドリルはキレイな白紙状態、算数は国語よりも嫌いで、ドリルを開くことすらしませんでした。
なので、勉強は人よりも遅れてしまい、小学校6年生の時に小学校3年生の勉強をしていました。
絵を描くこと以外には歌うことが得意で、変声期をほとんど経験しなかったので声は高いまま。男声も女声も出せるようなちょっと変わった声になりました。
それが嫌いだった時期もありましたけど、今では武器です。
文章を書くのは苦手でしたけど、読解力はそこそこあって、作者の心情を答えなさいっていう問題は好きでした。
ただ、言葉で書いて表現するのが苦手だったのでわかっているのにできないっていうことはしょっちゅうだった気がします。
なので、絵で表現したかったです。
そんな私にはちょっと人には理解されないことがあります。
物の声や性格を考えるのが好き
私は、机とかペンとか、なんでもいいんですけど「物の声や性格を考えるのが好き」でした。
「この机はこういう声かな?」とか「この椅子は今どう思ってるのかな?」とかを無意識に考えることがありました。
それが何となく自分の中の密かな楽しみで、一時期ぼーっとしている時間はずっと「声のない物にキャラクターをつける」ことを考えていたことがありました。
大人になると昔ほど考えることは減りましたけど、なんとなく考えていた頃のことはすごく鮮明に覚えています。
今考えると、「それが私の感性」だったのかもしれないと思います。
あと、この遊びって誰にも言ったことがなかった気がします。
私の友達も家族も知らないかもしれません。
完全にこのブログが初出しだと思います(笑)
自分の絵について
私が絵のモチーフにしているのは「日常」や「ふと頭に浮かんだもの」です。
それを物体ではなく「キャラクター」として描きます。
物体を描くのは実はそこまで好きじゃなくて、基礎デッサン力はそれなりにありますけど、しっくりきていません。
その感覚って、昔の「物にキャラクターをつける」っていう遊びが関係しているのかもしれません。
物をキャラクターにする遊びを続けたことで、キャラクターをイメージする力を自然に身につけることができました。
赴くままに線を走らせることはほとんどない
私は頭に浮かんだものを赴くままに線を走らせて描くことがありません。
勢いで描くことがないんです。
その辺はちょっと優等生感がある気がします・・・。
「ここでこの線を描いて、ここでこれを描いて・・・」ってなんとなく考えながら描きます。
それも作家性が出ると思いますけどね。
空間認識力だけが高かったので「展開図」は得意だった
算数、数学はただただ苦手でしたけど、展開図は得意でした。
図形を解体して、解体された図が組み立てるとどんな図形になるか、っていうのありましたよね?
私、あれは得意でした。
「こことここがくっついて、こうなるから・・・」って考える方法で導き出すんじゃなくて、感覚で「これは三角形だ!」とか「これは円柱だね」とわかるんです。
頭で瞬間的に映像が浮かんで、結果的に当たっているみたいなイメージです。
文章を書く時はこの感覚に近い感じで書いていて、瞬間的に映像が浮かんで、それを文章に落とし込む能力を「書き続けることで身につけることができた」んですよね。
ブログを始めたことでさらに磨けたような気がします。
ある意味で展開図の見つけ方が文章を書く力に利用できたわけです。
自分らしい書き方を見つけるまでには3年くらいかかってしまいましたけどね(笑)
自分らしいやり方を見つけるのは難しいようで簡単
私は自分のやり方を表現できるようになるまでにかかった期間は3年ですが、見つけ出したのは1年目の頃でした。
でも、上手く使えずに苦しんでいたことがありました。
時間をかけたことで、自分のやり方で表現できるようになる力を得ることができるようになりました。
なので、見つけるだけなら実は結構簡単です。
あとはそのやり方をいかに表現に変換できるかを見つけることができればいいだけです。
それまでには時間はかかりますけど、一度見つけてしまうと自由に操れるようになるので、楽しくなります。
ではでは。