ゆうりの日常

フリーライター、イラスト制作ブロガー、シンプリスト。ちびキャラ記事、シンプル生活の記事、商品レビュー、イベントレポートを中心に記事を執筆中

歩きスマホは、可能性を自分で潰す行為

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歩きスマホ、普段からしますか?

 

自分はしないっていう人でも、必ず1回以上は出くわしたことがあるんじゃないでしょうか、歩きスマホをしている人に。

 

普通に歩いているのに、前も見ないで小さい画面ばかり見ながら歩いてくる人にぶつかりそうになったりいて、もめたことがある人もいるかもしれません。

 

私も歩きスマホが原因で見ず知らずの他人ともめたことがあります。

 

そもそも注意喚起がされている行為ですし、それで実際に事件も起こっているので、一つの問題だと思います。

 

でも、今回はそんな話をしようと思っているわけじゃなくて、そもそも勿体ないなっていう話です。

歩きスマホは可能性を消す行為である

毎日歩いている道、街の風景なんて特に注意もせずに何となく歩いているのが普通です。

 

毎日同じ風景なんてみてもなんの面白みもないって感じている人も多いと思います。

 

でもそれは間違っています。

 

毎日同じ景色っていうのはあり得ません。

 

例えば、前日晴れていて、次の日も晴れていたとしたら、それは同じ景色でしょうか?

 

違います、違う景色です。

 

同じ晴れでも前日には雲一つない青空で、次の日が雲が多い晴れだったら同じ景色ではありません。

 

店の前に出ている外看板も、一日前と今を比べてみると、目に見えないレベルで変わっています。塗料が剥げていたり錆が進んでいたり。

 

道も、落ちているものは日々変わります。それらは同じとは言わないと、私は思っています。

 

それらは全て新鮮な、新しい景色です。

 

全部新しい発見をするための材料です。

 

歩きスマホをすると、それらの変化に気づけなくなります。

 

小さい画面にしか意識が向かないので、何も得るものがありません。

 

情報もアイデアも、何気ない景色にこそ隠れています。

ちょっとした景色の変化は新しい創造の場

今日歩いている人が、どういう人なのか、どんな職業なのか、性格は良いのか悪いのか、それらを自分の頭の中でだけ想像するだけで、自分の中に新しいストーリーが生まれます。

 

それは、モノを見て想像する力を養うことにつながります。

 

多角的にものを見る目を育てることができます。

 

ピカソの絵はキュビズムという多角的視点から見たものを一つの方向から見たときに一発で見られるように描いています。

 

今の人間にこういう多角的な視点からものを見ることができる人は、かなり減っていると思います。

 

でも養うことができます。

 

私もスマホは見ますけど、外を歩いているときには景色を楽しむようにしています。

 

そして気になったものを頭の中で色んな想像をするようにしています。

 

なんの得にもならなかったとしても、モノを色んな視点から見るという点に関しては、体操をしている感覚です。

 

必ずしも景色を見る必要はないかもしれないですけど、景色はお金のかからない創造の場です。

 

今、最寄り駅の壁に貼られている広告を覚えている人はいないと思います。

 

私はそもそも駅に行くことがないので知らないですけど、毎日利用していても全然知らないっていうもの、すごく多いんですよね。

 

それらの情報は、その時には特に使える知識ではなかったとしても、後々、ふとした時に思い出せると、決定打になるっていうことがあります。

 

私は何回もこの経験があります。

 

小さい画面ばかり見ずに、もっと色んな景色を見てみましょう!

 

それが生きるときも来るかもしれません。

 

私がこういった視点をより意識するようになったのは、「10分あったら、どう考える?」っていう本を読んだからです。

具体的な解決策が書いてあるわけではないですけど、考える余地を与えてくれます。

 

自分の中で一度飲み込んで、それを改めて咀嚼していくことで読んでいくような本なので、答えを求める人には向いていないかもしれませんが、ヒントはくれます。