よく耳にする「私には才能がないから」という言葉。
「才能」って言葉は、非常に曖昧で、わかりにくいものです。
「才能」って調べてみると、「素質や訓練によって発揮される力のこと」だと出てきます。
つまりは、元からあった力を磨くことで発揮される特殊な能力的なものだと、この説明では読み取れますね。
しかし、本来の才能っていうのはそれとはまったく違うと思っています。
才能って何?その答え
才能っていうのは、「苦も無く、その人がさらっとやってのけるもののこと」です。
とくに人から教わらず、何気なくやったらできてしまったもの、それが才能です。
一般的に言われている「訓練によって発揮される力」というのは、あくまで「スキル」です。
原石を磨き、それが磨かれきったところで発揮されるわけですから、「大変さ」を味わっていますよね。
それは才能とはちょっと違うものだと思います。
生まれつき持っているもの、それこそが本当の意味での才能です。
人は必ず才能がある
私は、才能がない人間はいないと思っています。
人は必ず何かしらの才能を持って生まれれてきている、と思うのです。
それは人が羨ましがるようなものではないかもしれません。特別な才能って呼べるものでもないかもしれません。
でも必ず才能はあります。
それこそ私の「絵を描く」というのも、スキルではありません。
絵柄は模索し続けましたけど、絵を描くことだけであれば得意でした。これも才能です。
これは羨ましがられるものかもしれないですね。
その他に才能といえるものであれば、人の話を聞くのが得意です。
自分から話すのではなく、聞く力です。そもそも昔から何かと相談されるようなタイプでした。
なので、実は他の人に比べて色んな情報を知っています。これも磨かれたわけではないので才能だと思います。
それから、自分で何かしらのアイデアを生み出す力も、昔から得意でした。
このように、なんだってその人が苦も無くやってのけることは全て才能なんです。
才能が生きたり死んだりする
環境が人を変えるように、才能も環境で変わってしまいます。
生きることもあれば、殺されてしまうこともあります。
今才能といえるようなものがないと感じているのであれば、もしかしたら環境によって殺されてしまったのかもしれません。
でも、なんでもやってみることで以外に得意だったというものはあるんじゃないでしょうか?
例えば、計算だけは何桁でも頭で即座に計算ができるとか、変化に気づくことができるとか。
好きなことと得意なことが合致しているパターンもありますよね。私の絵を描くことと同じように。
最近、中田敦彦のYouTube大学で「やりたいことの見つけ方」という本を題材にした動画がアップされていました。
これで説明している質問に自分でも答えてみたんですが、自分が得意なことをちゃんと確認することができました。
私はやはり芸術肌でした。「自分で考え、それを独自の世界観や価値観で行っていき、継続させる」これが私の最も得意なことでした。
絵の仕事は私に最も合っていたものだったんですよね。
「才能はスキルじゃなくて、苦も無くすんなりできてしまうもののこと」というのも、この動画で「確かにそうだ」と思えたので、ブログで紹介したわけです(笑)
私の才能
私には絵を描く才能があります。
絵だけは誰かに教わらなくても、描くことができました。
学校に入学してから美術の時間に絵を描いていても、先生が直接教えにきてくれた記憶はありません。描いて持って行ったとき、手本として紹介された記憶があります。
なので、私にとっては絵は、苦もなく描けるものでした。
それが長い年月をかけて形を変え、今は2頭身のちびキャラを描くイラストレーターになりました。
2頭身のキャラクターは、ポーズをとらせるのが難しいらいいのですが、私はそこまで苦しまずに難なく描けたんですよね。
これ、実は結構すごいことなんだと知ったのは絵を再開してから2年以上経ってからでした(笑)
私には絵を描く才能だけでなく、プラスで2頭身のキャラクターを自由に描く才能もあったということですね。
一応それなりに描き方とかは勉強しましたけど、そんなに「描けない、わかんない」ということはなかったかなと思います。
これが才能の正体なんですね。
まとめ
才能が何なのか、それを明確に理解できたのは、大きいです。
自分がなんなくできてしまうこと、それが才能の正体なのであれば、今できていることはあなたの才能かもしれません。
私は自分の才能を認識ているものとちゃんとしたセルフチェックで一致させることができました。
今難なくできていることは何ですか?